つねぽんの日記(独り言)

アルコール依存症、乾癬、潰瘍性大腸炎発症者です。飲まなくなって8年が経ちました。日々の思うことを不定期で書いていきます。最近は大好きな坂本真綾さんのことを改めて振り返ったりしています。飲まない日々について8割くらい。

29歳から約10年

29歳の10月、新卒で入社した会社を5年半経とうとするタイミングで退職をした。

乾癬で体を蝕まれていたことが対外的な理由ではあったが、アルコールの問題が自分の根本的な問題であった。

退職が決定した後、引っ越しは自分で手配をしないといけないにも関わらず、お酒におぼれて何もできず、挙句の果てに幻聴幻覚で精神病院に幽閉される事態となった。

もし精神病院に一時的にも入らなかったらおそらく飛び降り自殺をする可能性があった。

あれからもうすぐ10年となる。

あの頃から状況が徐々に改善。病気への対処もできている。

そして何より今月終わりには彼女との生活が始まる。

自分の病気について、問題についてすべて受け入れてくれた彼女。

感謝しかないし、これから長い時間をかけて二人の穏やかな生活を築いていきたい。

父の幼少期

父の幼少期の話はこの歳になるまで聞くことが少なかった。

今日、両家挨拶の件で父と話すために実家に行き、たまたまそんな話を聞いた。

 

生まれは東京都中野区。幼少期に今の西東京市に移り住んだ。

1950年代の話。

祖父は何を生業にしていたのか。

リアカーを引いて廃品回収をしていたと言っていた。

小学生の父も一緒について行っていたらしい。

リアカーを引きながら、祖父は「泥棒がいる」と見えもしない人を指さしたりしていて、そんな祖父を小さい父が祖父の腕を掴んで「どうしたの!」と言いながら止めていたと。幻覚を見ていたのだろう。

肝硬変で亡くなった祖父。恐らくアルコール依存症だったのだろう。

 

家は貧乏で、給食費や教科書代も払えなかった。

給食費が未納だと担任に言われた父。

母に「払いにいきますと言っておいて」と言伝を受けた。

翌日、担任に怒鳴られながら「払いにくると言われたのに待ってもお前の母は来なかった」と言われたらしい。

当時の家は六畳一間の長屋住まい。家族6人くらい(具体的な人数はわからず)で住んでいた。トイレはいわゆるぼっとん便所が共同だった。

父いわく、暗い小学生だったと。

13歳からヤクルトの配達、新聞配達をして家計を支えるようになって懐が暖かくなったからか、明るくなっていったと。

高校受験。勉強する時間もなく公立しか行けない身なのに受験は上手くいかず働きながら定時制高校を出た。

色々な仕事を経て、母とのお見合いになった際の社長の会社の業界に飛び込んでから生活が成り立っていったのだろう。

………

小さい頃は父が好きだったが、小学生の時、父が未経験の仕事をした時から怖い存在になった。

母が2020年に亡くなったあと、父も重症からの奇跡的な復帰後、この10年の中で一番話すようになった。

今回、結婚の段取りを話す中で、昔の頼りがいのある父を思い出した。

2014年、アルコール依存症の振戦譫妄を起こした自分を連れ戻し、当時住んでいた家を片付けた父、実家での生活が久々になり、アルコールが止まらない自分を見て母と共に悩んだだろう。

あれから10年。結婚という形に向かうことで少しは安心してもらえるかもと思う。

どれだけ生きるかわからないが、もう少し逢いに行くようにしよう。

2024年

2024年が始まって7日が過ぎた。

今年は年末年始、いつも以上に適当に過ごしてきたが、忘年会やコミケ坂本真綾さんのライブとそれなりに予定をこなして始まった。

 

明日、彼女のご両親に挨拶にいく。

正直どのような反応されるか読めない。

ただこちらは誠実に挨拶をしていきたいと思う。

 

2024年は東京に戻って10年の節目になる。

2014年10月に幻聴幻覚の末、東京に連れ戻してもらった。

お酒の問題に加え、乾癬による皮膚の失神が体の85~95%くらい蝕まれていた。

絶望しかない29歳の半ば。

 

今、一人暮らしをし、これから結婚をする。

仕事もそれなりにきちんとできるようになり、何よりお酒を飲まないで過ごしている。

悩ましいことはそれなりにあるが、それでも生きている。

それだけで及第点だと思う。

 

今年の終わりにはどのようなことを考えているか。

いい1年にしていきたい。

引越し

11月23日。

今住む場所からの引越しをする。

引越し場所は今の場所から約10分。

彼女との新生活の準備。

5年半弱住んだ。

当初はとにかく実家を出ないといけないと思い当時住めるレベルの家賃で探した。

表面も場所も良かったし、今もこの場所が好きだ。

当時の収入で赤字となり転職。コロナ禍を経て今に至る。

色々助けられたこの家。

お世話になりました。

雑記

最近、平日はそれなりに慌ただしく過ごし、土日はゆっくり過ごすことが出来ている。

今日は髪を切りに行き、これからAAへと足を運ぶ。

こんなルーチンで多少の波がありながらも平穏な毎日。

8年前、もっというと20代は飲んでいる時間だけが落ち着きをもたらしていた。

ただ、それはつかの間の時間。

シラフになれば思考が色々な感情に振り回されて落ち着くことはなかった。

飲まないから見えている問題はある。ただ、それを含めても今が一番楽な時。

恐らく人生で一番。

数年経って、そう思わないことも出てくるだろうけど、その時はその時の自分の行動を信じたい。

過去と今

人には後悔がつきもの

悲しい出来事や辛いものかもしれない

立ち止まってしまうかもしれない

後悔した過去を慈しみ、過去の自分を慰めたあとは前に進もう

また後悔しても良い

何度でも、何度でも前に進もう

自分の生きる目的とは何か

今まで、40歳手前まで生きてきて、色々なことがあった。

こっちかというと酷い目に遭うようなことが多かった人生無理かもしれない。

こんな苦しむなら人生は意味がないと思うこともあった。

2020年。コロナで母が怯え人生で信じていたものに裏切られたような気持ちが起きた。

あの時、Twitterのフォロワーさんから教えてもらった本。

生きがいの創造

この本が自分の生きる意味を再認識させて頂きました。

宗教とも違う、科学とも違うアプローチ。

輪廻中にある世界で人は課題をそれぞれ持って生まれるように言われる。

その指導役が一方的な存在なのろう。

その課題を人生でやり遂げるために、魂の成長を遂げる。

端的にいうとこんな話。

目からウロコだった。

そして、たまたまYouTubeのyamaQさんというもっと雑談で話していた内容。

の課題は乗り越えたか。

まだか。

使命はわからないが、これから起きる課題を乗り越え、この人生を終えたい。