父の幼少期の話はこの歳になるまで聞くことが少なかった。
今日、両家挨拶の件で父と話すために実家に行き、たまたまそんな話を聞いた。
生まれは東京都中野区。幼少期に今の西東京市に移り住んだ。
1950年代の話。
祖父は何を生業にしていたのか。
リアカーを引いて廃品回収をしていたと言っていた。
小学生の父も一緒について行っていたらしい。
リアカーを引きながら、祖父は「泥棒がいる」と見えもしない人を指さしたりしていて、そんな祖父を小さい父が祖父の腕を掴んで「どうしたの!」と言いながら止めていたと。幻覚を見ていたのだろう。
肝硬変で亡くなった祖父。恐らくアルコール依存症だったのだろう。
家は貧乏で、給食費や教科書代も払えなかった。
給食費が未納だと担任に言われた父。
母に「払いにいきますと言っておいて」と言伝を受けた。
翌日、担任に怒鳴られながら「払いにくると言われたのに待ってもお前の母は来なかった」と言われたらしい。
当時の家は六畳一間の長屋住まい。家族6人くらい(具体的な人数はわからず)で住んでいた。トイレはいわゆるぼっとん便所が共同だった。
父いわく、暗い小学生だったと。
13歳からヤクルトの配達、新聞配達をして家計を支えるようになって懐が暖かくなったからか、明るくなっていったと。
高校受験。勉強する時間もなく公立しか行けない身なのに受験は上手くいかず働きながら定時制高校を出た。
色々な仕事を経て、母とのお見合いになった際の社長の会社の業界に飛び込んでから生活が成り立っていったのだろう。
………
小さい頃は父が好きだったが、小学生の時、父が未経験の仕事をした時から怖い存在になった。
母が2020年に亡くなったあと、父も重症からの奇跡的な復帰後、この10年の中で一番話すようになった。
今回、結婚の段取りを話す中で、昔の頼りがいのある父を思い出した。
2014年、アルコール依存症の振戦譫妄を起こした自分を連れ戻し、当時住んでいた家を片付けた父、実家での生活が久々になり、アルコールが止まらない自分を見て母と共に悩んだだろう。
あれから10年。結婚という形に向かうことで少しは安心してもらえるかもと思う。
どれだけ生きるかわからないが、もう少し逢いに行くようにしよう。