つねぽんの日記(独り言)

アルコール依存症、乾癬、潰瘍性大腸炎発症者です。飲まなくなって8年が経ちました。日々の思うことを不定期で書いていきます。最近は大好きな坂本真綾さんのことを改めて振り返ったりしています。飲まない日々について8割くらい。

人生はマラソン

人生はマラソン

短距離走のようにカッコよく走り抜ける人は時たまいるけど、基本は自分のペースを決めて走る。

たまにペースを早めて息切れを起こす時があったり立ち止まる時もある。

だからこそ自分のペースが早い時には俯瞰する力が必要。

お酒で傷ついて立ち止まった時もあるけど、今は落ち着いて日々、1日ずつ大事にしていきたい。

願い

あなたが喜び、楽しむ時、隣で笑って分かち合おう。
あなたが何かに怒り震える時、横で怒りの先にある恐れに気づいて抱きしめよう。
あなたが苦しみに打ちひしがれる時には、横で寄り添い、解放されるまで抱きしめよう。
そして、あなたが何かのために祈り、未来を生きようとする時には、横で一緒に祈ろう。
いつもあなたの近くに、分かり合える存在として居続けたい。
それが今の私の願い。

指輪(詩)

指輪
君が再び目の前に現れてくれ、僕の人生が動き出した
まるで錆びた歯車に君という油が差し込まれたかのよう
歯車がスムーズに動き出した
この歯車はこれから先、永遠に動くのか
指輪は継ぎ目がないから永遠を表すと君が教えてくれた。
君との日々が永遠に続くと思う
二人のどちらかが最期の別れをする日が来ても
二人には関係がない
体は単なる器だから
この動き出した歯車は僕という魂を動かし続けるだろう
君という油が一緒にいてくれるなら

雑記

最近、会社内でのリストラが始まり慌ただしかった。

ついこの前まで一緒に仕事をしていた方が対象になり、個人的に少しへこんでいた。

特に実績の一部を自分が彼と積み上げていたので責任を感じている。

自分は今のところ今回の対象には入らなそうなので、安心ではある。

 

2月から体制が変わり、仕事をともにする人が1.5倍くらい増えた。

今までのやり方とは少し工夫をしないといけないと思っている。

 

彼女との日々だけど、相変わらず順調。

距離は離れているので会えるのは月に1度ペースではあるけれど、今は我慢。

3月になれば実家に彼女がお邪魔する。

うちの父も姉も悪い人ではないのでざっくばらんに話して仲良くなっていけばいいと思っている。

 

景気の悪い話が続いているからこそ今はこつこつとお金をため、将来を見据えていきたい。

指輪

12月初旬、彼女が自宅に来てくれた。

その際に近くの大きな駅にあるショッピングモールにある宝飾店でペアリングを購入。

自分も付けるけれど、クリスマスプレゼントになりました。

20代から今の歳になるまで、このような形でペアリングを購入する日が来るとは思わず。

価値観の近さがとても居心地が良い。

振り返るといつも女性側に振り回されるか追いかけることしかしなかった恋愛。

今の彼女とは同じ速度で歩みを進められるのでありがたいです。

これも飲まない生活が続いていたから生まれた奇跡です。

飲まないことと異性問題(アルコール依存症はめんどくさい)

お酒をやめ始めた当初、容姿が優れている男性、女性にはだいたい彼氏彼女がいた。

自分の親しくさせていただいていた仲間にも同棲する人がいた。

 

女性の場合、彼氏がいる人ほど止められていなかった認識がある。

男性はなぜか止められていた。

 

別の切り口として、よくこの界隈では、止めたての内は異性と付き合わないほうがいいという見方があった。

何故ならその異性に目が向きすぎてしまい、結局スリップをしてしまうから。

 

自分自身、容姿の問題や金銭的な問題もあり、12のステップが終わる間際まで彼女がいなかったので、この問題は深く考えないでいた。

 

今、7年経ってみて、アルコールの問題と異性問題は深く根ざしていることに気づく。

 

先ほどの親しい男性の仲間で彼女がいた人は残念ながらスリップしている。

しかも結婚をした後、子供ができているにも関わらず。

別の男性で仕事にもありつき、順調だった優秀な男性は彼女に振られた途端にスリップしていた。

結局お酒をやめる手立てを異性のおかげで何とかしていたのかもしれない。

 

そういう意味では、自分の場合、飲まない日々を7年過ごしていく中で、きちんとやめ方を理解できてよかったと思っている。

もし、今のパートナーと止めたての時に付き合っていたら迷惑をかけていた気がしている。

 

飲まない生き方を始めた方で、まだ結婚されていない方は、一度自分の異性関係を手放した上で、取り組むほうがいいと思っている。

退院から7年

7年という時は自分にとって短期だった。

それでも気づけば自分も、周りも、世界も大きく変わった。

7年前の11月20日に、とある精神病院を退院した。

当時、仕事は無くなり、大した特技もない30歳の自分がいました。

ある方からいただいた言葉。

焦らず、恐れず、遠慮なし。

この言葉を胸に、飲まない生活を最低であり最高の条件として生きてきた。

飲まないまでも、この数ヶ月前にはしんどい思いもした。

しかし、それを乗り越えて今充実している。

あの退院した直後、生活が送れるとは想像もしなかった。

感謝したい。

あの暑い日、最後のハイボールを口にした日から飲まないでいる。

これからも飲まない一日を重ねたい。