母の四十九日が来週の水曜日に迫ってきた。
母の死から1か月以上経ち、心身ともに色々な変化があった。
つらつらとまた綴っていきたい。
先週の水曜日から会社にはお休みをいただき、26日までゆっくりさせていただいている。どこか無理していたのか、倦怠感が抜けなかったのがだいぶ和らいでいるのは事実。
迷惑をかける上司や同僚には感謝である。
今、ふとしたタイミングで母を思い出す。
悲しくなるし、切なくなるし。涙が出る時もあるし、どうしたらよいかわからなくなる。別に笑顔の時を思い出すのではなく、無表情の時の母。
それでもその顔が自分にとっては一番印象に残っている。
今日、夢で母と父がそれぞれバラバラのタイミングで現れた。
出て行けと怒っていたような夢。脈絡のない夢。
ここまでの人生で母が夢に出るようになったのはこの1か月。
それまではほとんど夢に出てこなかった。
父についても夢で見ることはほとんどなかった。
どうせなら夢枕にでも現れてくれればいいのに。
ふとさっき、父を母は連れて行ってくれないかと思ってしまった。
退院を望む気持ちとは裏腹に、そんな気持ちが出てしまう。
未だにICUにいる父。
先日、CTを撮ることができたそうだが、肺と気管支の後遺症が強く残りそう。
下手すると酸素ボンベを常に持たないといけない状態。
そんな状態を父本人が望むだろうかと考えた時、望まないと思う。
元々長く生きないと日頃から言っていたのだ。
母のいない世界に長生きしたいと思わないのではないかと。
母を最期まで好きでいた父。意識が戻った後のことを考えると辛い。
何が一番なのかわからない。何をどうしていけばいい選択ができるかわからない。
ここまで何を望めばいいのかわからない状態は初めてかもしれない。
なんでうちなのか、こんなどうしようもないことも考えてしまう。
自分自身家庭を持っていれば少しは考え方も変わったのだろうか。
人生に対する展望が少し陰りを見せている気がしてしまう。
余白の人生であると5年前には思っていた。
でも、余白ではなく、人生は続いている。
だから苦しいし、悲しみはあるし、切なくもなるわけで。
俯瞰して人生を見ていくこと。そんなことを教えてもらったことがある。
そこまで自分は器用ではないもので、、。
もう少しだけ、時間が欲しい、消化する時間が。
もう少しだけゆっくり考えさせてほしい。
受け入れることができるまで。