つねぽんの日記(独り言)

アルコール依存症、乾癬、潰瘍性大腸炎発症者です。飲まなくなって8年が経ちました。日々の思うことを不定期で書いていきます。最近は大好きな坂本真綾さんのことを改めて振り返ったりしています。飲まない日々について8割くらい。

平均52歳

このアルコール依存症界隈で有名な平均がある。

 

52歳。

 

アルコール依存症の寿命だ。

 

自助グループに通っているとオーバー60がいっぱいいるためあんまり感じることのない年齢。

 

ただそれだけ52歳を越える前に飲み続けて病気で亡くなったり、自殺をするのだろう。

 

自殺前に飲酒をしているケースは結構な割合と聞いたことがある。

 

今の自分は36歳。この病気を診断されて6年くらいになる。

 

時々消えてなくなりたい気持ちになることもあるし、そこまで高齢になるまで生きてどうすると思うことがある。

 

それでも生きられるならば長く生きてみたいと思う。

生きた結果、得られることが人生で何かしらあるかもしれないから。

 

 

自分大好きな自我の塊

去年の11月ごろ、同じアルコール依存症の仲間から誹謗中傷を受けた。

 

理由は簡単、その人が自分勝手な行動をするので心配になって連絡をしたら逆恨みをしてきたからだ。

 

その人曰く、もう飲まないで過ごすことはできるようになったと。

 

この病気の恐ろしいところは、ただ飲まなければいいとの錯覚に陥ること。

 

そもそも飲んできた理由は自分に問題があったからだということに気づけないと苦しくなる。

なぜなら苦しかったから飲んでいたし、悲しかったから飲んでいた。

人や環境のせいにしていたから飲んでいた。

 

世の中や人は変わらない、変わるのは飲まない自分。ただ飲まないだけなら苦しくなるわけだ。

 

だからこそAAであれ断酒会であれ、じゃあどういう風に生きるのかというところに目を向けさせる。

 

その後、その人との連絡は絶ったし、幸いにしてその人から人づて含めて連絡をもらうことはない。

 

とにかく飲まなければそれでいい、その考えにはもう二度とならないようにしたい。

感謝された

昨日、最近の悶々とした状態を察したのか、知り合いの仲間から連絡。

 

仲間に目を向けたほうが良いとアドバイスをいただいた。

また人生の中での感謝する人を浮かべることと。前々から言われることがあったが久々に考えてみた。

 

その中で最近の問題は自分でもわかっている嫉妬の気持ち。

この嫉妬の気持ちを汲んでくれる経験を持つだろう人と電話した。

 

よく理解してくれた。

アドバイスとして、今まで経験をしたことの中の資産に目を向けること。

経験していく中でしか乗り越えられなかったことがあっただろうから、それに目を向けることだと。

 

すごく腑に落ちた。

 

また昨年の今頃にもその人に電話をしていたのだが、自分が置かれていた悲惨な状態が逆にその人に生きる気力を与えたと。

ありがとうと久々に言われた。感謝しているとも。

当時その人の抱える問題はとても重かったと。

自分が連絡したころがピークだった様子。そこから奮起していまに至るらしい。

 

当時は自分の苦しく、抱えられない状態を人に話をして乗り越えた。

 

人は一人では生きていけない。これは物理的にも精神的にも言えるだろう。

 

だからこそ、人とつながるためにも時には自分の苦しい状態をさらけ出しながら生きていかなければいけないのだろう。

 

特に隠し事ばかりしていたアルコール依存症者は。

 

少し気分が晴れてきた。

もう少し生きていけそうだ。

SNS

SNSは依存しやすい。

 

特にTwitterFacebookは特にそう思う。

これは健常な人でもいえることだけれども、常に見ていないと気が済まなくなる。

 

Facebookはいつのころからか、自分の知り合いが結婚や出産等のおめでたいことが増えるにしたがって見なくなっていった。むやみに嫉妬したくなかったから。

 

Twitterはその分、知り合いも気兼ねない感じで済んでいたので長いこと継続してやっていた。ただこう長くやっていると、知り合いも増え、実際にあったことがある人も増えた関係で、結局はFacebookのような感覚になってきた。結婚報告も増え、結婚生活を取り上げるツイートも増えていった。

 

今自分が望んでいることは気持ちを落ち着いて過ごせること。

自分の境遇が望んだ形になっていなければ、望んだ形になっている人の状況など見たくなくなる。

 

久々にTwitterを携帯からアンインストールした。

ここで得られる情報は欠かせないものになっているためずっとは難しいが少し離れることにした。

 

別に自分がいなくなろうと困る人もいないし、「つねぽんいないな」と思われる程度なので差し当たって問題ない。

 

せめて6月に受ける資格試験くらいまではそのままでいようと思う。

 

第三ステップのお任せ

AAの第三ステップ。

 

私たちの意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした。

 

ここでいう神はこれは別にキリスト教の神でもなく、仏教上の仏である必要がない。

あくまでも自分が信じられる大きな存在のこと。

 

今、自分自身が信じられるものに自分の意志と生き方を委ねられるか。

委ねるといっても自分を空っぽにする必要はないわけで。

 

生き方そのものを大きな自我=簡単にいうとわがままな自分ではなく、正しい生き方に沿って行動できるかということになる。

 

多分、AAの12のステップは一人では完遂できない。なぜならここから先のステップは誰かしらの助けが必要になるから。その足掛かりが第三ステップのお任せと言うこと。

 

誰かを通じて大きな力の配慮に委ねていくことが必要なのだろう。

 

たとえ、今の自分の境遇が不幸でも他人を羨んだり、自分を蔑んだりしてもいけない。あくまでも自分は自分だと。

自分は賢い方ではないのでそんなことはうまくできないわけで。今も嫉妬と自分の境遇への不満が爆発しそうではある。

 

ただそんな自分を少しずつでも変えないとお酒を飲むことになる。

 

ちょっとずつちょっとずつ変えていく。

 

勝ち負けと正直さ、努力

Emotional Sobrietyを少しずつ読み進めている。

 

英語の読解力が足りていないので少しずつにはなるが。元々今年は英語を勉強をしようと思っていたので良かった。

 

ある物語ですごく感銘を受けている。

ある仲間がある時言われたこと「成功」と「失敗」をあなたのボキャブラリーから取り上げて。その代わりに「正直さ」と「努力」を置き換えてくようにと。

 

また、「成功」と「失敗」は同じ分母の中にあるの。そして両方とも一時的なものだ。と。

 

今の自分は周りが金銭的な成功を求めらえる環境にあり、またそれが会社での自分の価値になると思える状態にある。

ただそんな金銭的な価値=成功は一時的なもの。ずっと勝ち続けることはできないのだと言われたような気がする。

 

正直さと努力。成功と失敗に囚われているのは昔の生き方なのかもしれない。ならば正直さと努力を念頭におく生き方を目指していくこと。それが感情のSobrietyを保つことに繋がるのではないかと今思える。

 

飲まない生活を始めて約6年。大きく変わる時なのかもしれない。

スタンドバイミー

時代を感じる。

 

自分はその時代を生きてはいないし、アメリカのそのころを知らないけど。

 

ただ、アル中の親父や精神疾患の親父、最愛の息子を亡くして失意に落ちている両親。

その子供たちに助けがない。狂った親のこどもたち。

救いようのない。ただそれでも生きている子どもたち。

 

ACの集まりなんだろうなと思ってしまう。

出てくる登場人物もまた、まともなものがいない。

正直に金を盗んだことを伝えた先生が、それをくすめる世界。

 

ひと夏の子どもの冒険の話とは思えないそんな内容だと思う。

 

スタンドバイミー、私のそばにいて。

それはそんな狂った親の子供同士(特に主人公とその親友)の関係を表した題名なのかもしれない。

 

多分、自分がアル中本人だからこそ、親の状況や子どもの地獄の状況が何となく理解できるのかもしれない。

 

こういう世界線が今の世の中にもあるのだと。悲しくなる。